娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

事実解明を選ばなかった神戸市

 2018年3月と6月の文教こども委員会は,神戸市幹部の事件に対する考え方を聞く機会となりました。両委員会での答弁からうかがわれる事件に対する姿勢は基本的には変わりませんが,内容的には微妙な違いも現れます。それは両委員会の間に事件対応について話し合われたからだと考えています。

 情報公開資料でみると,この3月の委員会直後に弁護士を交えた打合せが行われています。もちろん,資料の中身は「真っ白」でしたが,これ以前に同種の資料はありません。市役所内との連携が苦手な人たちですから('19/08/19『神戸市の業務姿勢を「タコツボ仕事」と呼ぶ理由』),庁内の法務担当と相談することもなかったのでしょう。3月の質問内容が彼らの予測を超え,今後に向けた検討が必要と判断されたと思われますし,彼らが事件の大きさを意識したのはこの時期と考えています。
 そしてこの両委員会の間に,被害者からの質問状提出とこれに対する回答のやり取りも行われ,そこに彼らの検討内容が反映されることとなりました。回答は被害者をガッカリさせるものでしたが,彼らが何を相談したのかの推測につながります。

 事件の経緯で考えると,神戸市当局の事件当初の不作為は明らかです。そこを衝かれないためには,現場の確認から再発防止策までの市の事跡を肯定する形で組立てなければなりません。指定管理者の情報を否定する被害者とは距離を置くことも必要です。例えて言えば,吉本興業騒動の際に使われた「今さらひっくり返せませんよ」と同じです('19/07/25『質問と回答がズレる時,ズレる場』)。組織に属している人には理解できると思いますが,組織を守る力は大きなものです。組織の対面を保つための考えは,個人の考えより優先することが多いはずです。まして自治体の場合は「公」としての体裁を整えておく必要があります。自らの失策を認めることは考えません。事実を解明して再発防止策を検討するという真っ当な方向は選ばず,自らの不作為を糊塗する方向を選びます。そして,この検討の中で,少なくとも次の2項目を確認したと考えています。
①重要な事件現場の情報収集を怠った対策として,事件当初を主導した指定管理者の情報にすがること,指定管理者を前面に立てることです。問われたら指定管理者に結び付ける,回答を求められたら指定管理者から報告内容に沿わせる,などが考えられたはずです。3月の委員会で委員から被害者との面会を勧める質問に対して「必要であればそのような話し合いも」と答弁していたものが,質問状の回答で「指定管理者の被用者と直接お会いする立場にない」と変更したのも,これに沿う対応といえます。
②加害児童も関係することなので,「プライバシー」を持ち出して明快な回答は避けることとします。少年法の中に報道規制の条文があるので,これを「プライバシー」「個人情報」に拡大引用し,外からの指摘を回避しようとしたのでしょう。3月の委員会での答弁に,「個別のことには」という使い方はありましたが,「プライバシー」や「個人情報」は使っていません。それが登場するのは6月委員会ですし,質問状に関しても同様です。プライバシーは彼らの戦略用語となったようです。

 そのように考えると,質問と回答がかみ合わないことや('19/07/14『問いと答えがかみ合わない!』),やたらと指定管理者を引っ張りだす回答が多いこと('19/07/29『「指定管理者」という隠れ蓑』)の理由が浮き上がってくるような気がします。簡単にいえば「事件の正面に立たない」ための戦略です。しかも,昨年6月の市会本会議では小林議員の質問に,寺崎副市長が検討内容に沿って答弁していますので,この打合せ内容は市の考えとして固定化されます。

 3度目の質問状提出の際,私は現場責任者ともいえる課長や係長と初めて対峙する場面を得ることができました。個々の質問について説明しましたし,指定管理者に全てを委ねる姿勢への不自然,プライバシーを持ち出すことへの疑問なども述べました。何よりも,事件を軽く見せるような物言いが後遺症で苦しむ被害者をどんなに苦しめているかについて話したつもりです。課長からは「誠意を持って回答」の言葉もあったと記憶しています。しかし,返された回答は昨年6月と全く変わらない姿勢を示していました。ガッカリでした。彼らは,事実はどうだったのかとか,検証とかについて考えない思考回路に入っている,検討して固めた公式見解から動けない状態にあります。質問にコピーで回答する荒技はその象徴と言えます('19/04/22『回答,前回のコピーはないだろう!』)。神戸市の内部事情はそんなところだろうと考えています。

 そして,そうした自分たちの保身のための選択が,新たな児童館の事件を再生産してしまいました。8月初めに報道された兵庫区の児童館で,女児に対して同じ小学校に通う複数の男児が「殺すぞ」と脅して体に触るなどの行為に及んだ事件です('19/08/09『神戸の児童館でまた,それ暴力』)。娘の事件でも「殺」の言葉が発せられる中で暴力が行われましたし,児童館の日常に不穏な雰囲気を娘は感じていました('18/10/05『考えられる事件の要因』)。女児の事件で報じられた児童館の雰囲気には同質のものを感じます。この新たな事件は,バット殴打事件に対する誠実な取組みをしなかったツケではないのかとの思いを強めています。